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最高裁判所第一小法廷 昭和23年(れ)221号 判決 1951年3月15日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人増田弘上告趣意について。

原判決は、被告人が二回にわたり畑の中にあった植田三之介外一名所有の馬鈴薯計十貫位を窃取した事実を認め、これに対し刑法二三五条窃盗罪の規定を適用処罰したのである。所論は、本件の犯行に対しては刑法窃盗罪の規定をもって処罰すべきものではなく、警察犯処罰令をもって処罰すべきものであると主張している。同令二条二九号において「他人ノ田野園囿ニ於テ菜果ヲ採摘シ、又ハ花卉ヲ採折シタル者」は「三十日未満ノ勾留又ハ二十円未満ノ科料ニ処ス」る旨を規定している。この警察犯処罰令の規定は、軽微な犯罪を対象とし、被害法益の零細軽微なものに対して警察的取締をすることを目的とするものであることは、前記法条の字句に照らしても又立法の沿革に徴しても明白である。窃盗罪との区別は被害法益の大小軽重によって決すべきものとするが妥当である。その被害法益が「財物」として保護さるべき程度に達するときは窃盗罪を構成し、然らざるときは警察犯としての野荒しとなるのである。結局は社会通念に従って裁判官が判定すべき事柄である。そこで本件について見るに、上告趣意に明らかなように被告人は、夜間午後八、九時頃、南京袋に入れて、自転車に積んで、畑の中のジャガ芋五、六貫目位宛を二回盗取したのである。国民のすべてが食糧難に苦しんだ本件犯行の昭和二二年七、八月当時においては、馬鈴薯は主食の一部として取扱われている程であって、五貫目、十貫目の馬鈴薯がもつ経済的価値は相当高く評価さるべきであった。従って、かかる被害法益が刑法二三五条の「財物」として保護さるべき程度のものであることは疑を容れないところである。されば、原審が窃盗罪の認定をしたのは正当であって、論旨は理由がない。

本件に対する裁判官斎藤悠輔の補足意見は次のとおりである。旧刑法第四二九条第一六号によれば「他人ノ田野園囿ニ於テ菜果ヲ採食シ・・・・・・・・・・・・タル者」は「五銭以上五十銭以下ノ科料ニ処」されることになっていた。

此の規定は現行刑法制定の際警察犯処罰令第二条第二九号「他人ノ田野、園囿ニ於テ菜果ヲ採摘シ」との規定に改正されたが、これらの規定の沿革は恐らく明治五年一一月八日東京府達東京違式かい違条例第三四条「他人園中ノ果実ヲ採リ食フ者」から由来したものと思われる。

抑も明治元年一一月一三日制定されたと言われる仮刑律賊盗律、田野の穀麦を盗の条に「凡田野の穀麦を盗ものは、守者の有無に不拘、賍を計へ、窃盗に准て論し、一等を加ふ。其菜果を盗若は山野木石之類・・・・・・・・・・・・を盗ものは亦窃盗に准して論す加減せす云々」とあり、またその雑犯律の制旨及令違の条に「凡、故らに制旨に違ふものは、笞一百、令に奏准定法を云う違ふは笞五十、臨時沙汰之旨に係らは笞二-三+」とある。次に明治三年一二月二〇日頒布された新律綱領賊盗律盗二田野穀麦一の条に「凡田野ノ穀麦菜果及ビ人ノ看守スル事無キ、器物ヲ盗ム者ハ並ニ賍ニ計へ、窃盗ニ准シテ論ス罪、流三等ニ止ル云々」とあり、また、同雑犯律違令の条に凡令ニ違フニ。重キ者ハ。笞四十。軽キ者ハ。一等ヲ減ズ。」とある。そして前記条例は右仮刑律及び新律綱領の賊盗律に関係なく、寧ろ雑犯律の令違又は違令の条若しくは後に引用する改定律例の違令条例から由来しているのである。すなわち、右新律綱領違令の条に関して明治四年三月次のような「府藩県限リ定ムル所ノ規則ニ違フ者処分方」と題する刑部省伺が出ている。

「違令ノ律軽重ヲ分チ笞四十、三十ニ定リ候処府藩県限リ地方ノ弊害ヲ救フ為メ一時ノ規則ヲ設クルハ天下一般ノ布令トモ異ナリ犯ス者違令ノ正条ニ処シ難キ軽罪有之全ク放免ニテハ取締相立チ難ク依テ違令ノ外別ニ違規ノ一条ヲ設ケ府藩県ノ規則ニ違フ者ヲ処シ仍ホ軽重ヲ分チ重ハ笞二十、軽ハ笞一十苔ニ及バザルノ微罪ハ呵責ヲ以テ之ヲ懲シ候ハハ、府藩県時宜ノ規則ニモ指支者有之間敷此段奉伺候」。

そして右伺に対し同年月日闕太政官は「名目妥貼ナラズ違式ト被定候事」と指令している。なお、同条例に関し同五年一〇月九日司法省の禀議に対し、同月一九日太政官から当分の内仮定の心得を以て施行すべき旨の指令があって、同年一一月八日東京府より布達せられたのが前記東京違式かい違条例だと言われている。そして明治六年六月一三日太政官布告第二〇六号改定律例においても違令条例として「第二八七条凡制ニ違フ者ハ懲役百日軽キ者ハ一等ヲ減ズ。第二八八条凡式ニ違フ者ハ懲役二十日軽キ者ハ一等ヲ減ズ」と規定せられ、次で同年七月一九日太政官布告第二五六号を以て右東京条例と大同小異の各地方違式かい違条例が布告された。しかしこの条例には前記東京条例第三四条に該当する規定は見当らないがその第八九条には東京条例第五八条と同じく「遊園及ビ路傍ノ花木ヲ折リ或ハ植物ヲ害スル者」との規定があって、いずれもかい違罪目として掲げられている。そしてこれらの条例は明治一三年布告第三六号旧刑法第四篇違警罪の篇に移され、その一般的効力は同法第四三〇条の規定によってなお認められていたが、明治一四年一二月六日布告第六二号により廃止されたのである。

以上の沿革から見ると、前記警察犯処罰令にいわゆる「菜果を採摘」する罪は、もと新律綱領雑犯律違令の条の罪から由来し刑法窃盗罪に該当しない各地方府県布達の条規に反する軽徴な犯罪をいうものと解するを相当とする。その理由は元来法曹至要抄には「官私の田園に於て輙く瓜果之類を食するは座賍を以て論ず。毀棄亦同し。即持去る者は盗を以て論す」とあって、瓜果之類を「食する」のは盗ではなく、また、盗を以て論ずるものでもなかったこと明らかである。されば仮刑律でも、新律綱領(改定律例でも同一)でも菜果を盗むものは窃盗に準じて論じているにかかわらず、菜果を菜食するものについては、規定はなく令違又は違令の系統に属する違式かい違の罪としているのである。また、旧刑法においては前記違警罪第四二九条第一六号を設けているにかかわらず第三七二条には「田野ニ於テ穀類菜果其他ノ産物ヲ窃取シタル者ハ一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処ス」と規定し、なおその後明治二三年一〇月八日法律第九九号窃盗ノ罪ニ関スル件第二条には「田野、山林、川沢、池沼、湖海ニ於テ其産物ヲ窃取セントシ…………未タ遂ケサル者又ハ巳ニ窃取シタルモ其賍額五円ニ満サル者亦前条(十一日以上二月以下ノ重禁錮ニ処ス)に同シ」と規定し、しかもこの後の規定は前の旧刑法の規定と共に現行刑法第二三五条に吸収規定せられるまで効力を有し、刑法施行法第二四条において初めて廃止されたのである。(因に右「賍額五円ニ満サル」とあるのは新律綱領座賍五両以下笞一十改定律例座賍五円以下懲役十日贖罪七十五銭に相当し、東京竝各地方違式かい違条例においては違式の罪の贖金は七十五銭乃至百五十銭、無力実決の笞罪一十乃至二十後ちに懲役八日乃至十五日、かい違の罪の贖金六銭二厘五毛乃至十二銭五厘、後ちに五銭乃至七十銭、無力実決の拘留一日乃至二日、後ちに半日乃至七日であった)。すなわち旧刑法においては田野において菜果を窃取したときは、一月以上一年以下(賍額五円未満の場合は十一日以上二月以下)の重禁錮に処され、これを採食したときは五銭以上五十銭以下の科料に処されるに過ぎなかったのである。それ故採食行為は窃取行為に該当しないか、又はその特別例外の行為と解すべく、また、その目的物たる菜果はその行為から見て自ら採食せられ得る程度の軽微な分量賍額の物であることを窺い知り得るのである。されば警察犯処罰令第二条第二九号にいわゆる採摘とは他人の田野、園囿における採食若しくはその目的を以てする採摘行為の類を指し、その目的物たる菜果は現場において採食せられ得る程度分量の菜果をいうもので、その他の行為並びにその程度分量を超える目的物の場合には刑法窃盗罪に触れるものと解するを相当とする。従って本件上告論旨の理由ないこと右説示により自ら明らかであろう。

よって、旧刑訴四四六条に従い、主文のとおり判決する。

この判決は、斎藤裁判官の補足意見を除くの外裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 真野 毅 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 岩松三郎)

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